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広報うえのはら令和3年12月号連携記事

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 私たちがいつも利用している上野原駅は開業してから今年でなんと 120 周年を迎えました。私たちねこの目報道部は、10 月 3 日(日)に開催された「上野原駅開業 120 周年イベント」のオープニングセレモニーに参加し、取材してきました。

120周年式典の「上野原駅いま・むかし写真展」でも紹介されていた、おそらく大正時代の上野原駅の絵葉書の写真。当時は単線ですし、ホームの人びとの動きからして、後ろに客車と補機を連結した「上り」の蒸気機関車が入ってくるところではないかと思われます。(写真は帝京科学大学の先生が所有しているもの)

拡大すると大荷物を背負った人と子供の姿が見えます。もしかして、甲斐絹を八王子に出荷するお父ちゃんをお見送りに来た子供なのかもしれませんね。「父ちゃん! 行ってらっしゃい!」なんて言っているのかも。想像すると楽しいですね。これ100年前に本当にあった風景なんですよね。ワクワクしますよね。

↑こちらは残念ながら上野原ではないのですが、同じ中央線の坂下駅の近く、川上川の鉄橋を渡る重連の蒸気機関車です。上野原の鶴川の鉄橋も、単線時代はこの橋とよく似た姿でした。当時中央線で活躍していたのはB6形と呼ばれる蒸気機関車でした。この機関車の特徴は、なんと後ろ向きで客車や貨車をけん引すること。煙の向きで進行方向が分かります。

つまり上野原の鶴川の鉄橋でも、当時は上の写真と同じ風景がみられていたはずです。上野原で蒸気機関車が汽笛を鳴らして走っている姿はごく普通の日常だった時代があったのです。その風景に、120年前に、思いを馳せてみませんか?

ちなみに、浅川(現在の高尾)ー甲府間は電化(蒸気機関車から電車になった年)が1931年(昭和6年)と比較的早かったため、この区間を蒸気機関車が走っている姿をとらえた写真はあまり残されていませんが、上野原周辺で活躍したものと同型のB6機関車には、今でも青梅鉄道公園に行けば会うことができます。

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